ゴルフがやってきた

福岡県在住のごく一般的なサラリーマン。晩婚だったため一人息子はまだ三年生。同窓会で会う友人のお子さまたちは結構な大人で早く結婚しとけばとも思う今日この頃。これまでの失敗を踏まえ、長いようで短い人生を息子に捧げようと意気込む毎日。

ワーゲンの歴史を調べてみた


フォルクスワーゲンの誕生は第二次世界大戦前まで遡り、アドルフ・ヒトラーによるドイツ・ナチス政権時代の1937年国民の車を生産するという目的で国営企業ドイツ国民車準備会社」が設立。


この国民の車こそが初代「タイプ1(通称ビートル)」であり開発は後にポルシェ社を創業するフェルディナント・ポルシェ博士が任命されました。時速100キロの速度で大人3人と子供2人が乗車可能なこと、空冷エンジンを採用し7リッターの燃料で100kmの走行(1リッターあたりの燃費が14.3㎞以上)が可能なこと、価格は1千000ドイツマルク以下であることなどの厳しい条件をクリアするため、プロトタイプをもとに市販に向けた改良が行われていた。


1939年第二次世界大戦が勃発。国民車として完成する前にキューベルワーゲンに代表される軍用車両に転用され、世に出ることになりました。

1945年、ドイツの降伏により第二次世界大戦終結フォルクスワーゲンの工場も多大な被害を受けましたが、早くもその年に当初の目的だった「タイプ1」を生産することができた。「タイプ1」は空冷水平対向4気筒エンジンを積んだリアエンジン・リアドライブの2ドア4人乗り。経済性と耐久性で注目を集めた。


このクルマの魅力はそれだけではなく、後に「Customer Comes First=顧客第一主義」という標語を生みだした他社にはない優れたアフターセールス体制を重要戦略の一つとして掲げました。それが多くの人に支持され、アメリカをはじめとする世界中に輸出されるようになり、復興に向けたドイツに貴重な外貨をもたらしました。
「タイプ1」の成功を受けて、フォルクスワーゲンはラインアップを拡大。1950年に通称
ワーゲンバスと呼ばれる「タイプ2」、1955年にスポーツクーペの「カルマンギア」、1961年にセダンタイプの「タイプ3」、1968年に4ドア・ワゴンの「タイプ4」を発表し多くの人に支持されました。


父親は「カルマンギア」に乗っていたらしい。私はその意志を少しだけ受け継いだのかもしれません。ゴルフはいい車です。



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